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Yoshiko's Room 4 - よしこの部屋 第四話

第二次世界大戦の時は9歳だったかしら。あの時代は、防空壕に出たり入ったり本当恐ろしい思いをしたわ。アメリカの飛行機 B29戦闘機が飛んできて爆弾を落とすようになり、いよいよ危険になったので、家族みんなで三鷹を離れて疎開したの。父が長野県の須佐か町の技術の工場長としてよばれたということもあってね。

何もかもとっても鮮明に覚えているの。上野駅から満員列車に乗せられてそれは悲惨な状態だったけれど、日本国民みんなが経験したことだから、自然に我慢することを覚えたのだと思う。高校の時に絶対に幼稚園教諭になるって決め、大学は音大の保育科を目指したの。卒業後は、教会付属の幼稚園で教えるという夢がかなってわけ。
そこで1年半勤め始めた時に、急にお見合いのお話がきて、結婚はまだまだ先だと考えていたのだが、睦男にものすごいプッシユされ(笑)、長女だったし早く嫁にいかないといけないと思ったし、教諭は断念して結婚したわけさ!
初恋、失恋、お見合い、結婚、  大家族との共同生活、義母の看病、出産、子育て、サラリーマンの妻、母親としとの役目である子育てが終わってからは、ボランテイアやテニスなどなど、ここまで76年続いているけれど、まだこれからの人生、何がおきるかが楽しみね。
親として目標にしてきたことは、まず子供を信じること、3才まではスキンシップでべったり くっついて育てること、 でした。
親ばかといわれても気にしない。でもその反面、躾はきちんと、約束ごとを決めて絶対に親としての意志を曲げないことだと思う。
そして子どもが成長していく過程で、その子の個性を伸ばすよう一番好きなことを選ばせて 継続させること。後はうるさく言わないよう心がけること、 などなど、ちょっと偉そうなこと言ってしまったけれど、実際には なかなか難しいわね。